ドイツの日本庭園で茶道をドイツ語で学んできた-前編 (11st April, 2022)
研究所の日本人研究者たちのつながりで、茶道体験をしませんか?との招待が来た。どうやら、日本領事館が主催したイベントに、日本人というつながりで招待されたらしい。裏千家フランクフルト支部の方々もお越しになるようだ。日本企業は数多くドイツに進出しているが、まさか茶道がドイツにまで進出していたとは知らなかった。私の住んでいた堺の千利休も、天国でビックリしていることだろう。
場所は私の住むカイザースラウテルンの日本庭園。カイザースラウテルンには日本らしきものは寿司屋くらいしかないと思っていたが、身近なところに日本を感じれられるスポットがあったとは、灯台下暗しだ。
https://www.japanischergarten.de/startseite.html
注:このブログは画像表示機能をまだ実装していないので、私のイメージをもとに、文章で情景を思い浮かべてもらいたい。
時は流れ当日、日本庭園を訪れた。お金を払うのかと思いきや、どうやら私たちは招待されたので無料のようだ。ドイツ語があまりわからないまま、「エンシュディゴン」「スーパーダンケ」を連発していた。兎にも角にも、直感に頼り、やんごとなき風格の日本人と、ドイツの方々の後についていく。
門をくぐった先には、朱色の鳥居が鎮座していた。京都の伏見稲荷大社を彷彿とさせる鳥居は、私の心の中に潜んでいた、日本の心の琴線に触れた。そして、雪がちらほら積もっているなか、滝は音を奏でる。水の流れ込む池では美しい何色もの鯉たちが、「安心して、ここがあなたの故郷だよ」と言わんばかりに、優しく微笑んでいるようだ。そして、何よりも、桜が晴れた空の青さと共に桜が美しい。私は桜の種類の専門家ではないが、花が白い桜、ピンクに近い桜など、さまざまな桜があるようだ。いくつかの桜は、先日の雪---4月なのに急に雪が積もった---のためか、落ちてしまっているが、それはそれで「祇園精舎の鐘のヴォイス、諸行無常のサウンド」を奏でていた。命あるものは、いつか枯れる。それこそが人生であり、その儚さが桜を美しくしているのだ。そして、太宰府天満宮を彷彿とさせる朱色の橋が遠くに見えるなど、ここはまさにドイツの中にある日本だ。
日本庭園から故郷に残してきた母と父のことを思い浮かべながら歩いていると、池のほとりに趣のある和風の建物が見えた。やんごとなき日本人とドイツ人の方々は、こちらの建物に入っていく。靴を脱ぐ場所で、「土足厳禁」という見覚えのあるプレートが置いている。私は夢を見ているのだろうか?私は日本にいるのではないだろうか、とさえ感じた。ひょっとしたら、ふすまを開ければ、日本に残してきた母と父、そして祖父母が出てくるのではないか。
そんな淡い期待を胸に、部屋に入ると、茶室が目の前に開けた。着物を着た日本人の方や、ドイツの方々がいた。ドイツの方々の前にすると、日本人の私が入るので「日本人だ。茶道のプロに違いない。」と思われていないか、謎のプレッシャーと一抹の不安を感じつつ、日系の方のレクチャーが始まった。日本人の講師の方が会誌の合図をした。
「よろしくお願いします。」
ドイツに来て、この言葉を聞くとは思っていなかった。厳かな空気が流れ、このドイツの茶室の中で、フロア(畳なのだけれど)のバイブスは頂点に達する。私は咄嗟に、伝家の宝刀、「正座」を始めた。「正座」、それが私のアイデンティティだといわんばかりに。正座をするのは10年ぶりと言っても過言ではない。そして、久しぶりの正座をドイツで行うとは、誰が予想できただろうか。人生とは予測不可能だ。
そして、間髪入れずに講師の女性は、ドイツ語で茶道の解説を始めたのだ。ドイツ語を勉強始めたばかりの私には、ピンチが訪れた。
次回に続く。