Kanta's Blog🇩🇪🇯🇵
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文章を残すこと、共有すること、地球の誰かにフィードバックをもらうこと

文章を書くのが好き。

初めはQiitaの技術ブログに勉強の過程を書き留めていた。自分の役にたつ情報というものは、他人にとっても有益で、技術ブログのプラットフォームで「いいね」をもらうことも頻繁にあった。[1] また、自分の役に立つ情報のうちで、世間で流行りの文章をチューニングすると、かなり多めの「いいね」を獲得することも学んだ。[2]

そして、「いいね」やコメントを通じて、自分の脳内のメンタルモデルが修正されることもわかった。例えば、バージョン管理ツールGitの記事を書いたときは、git bisectというバグが混入したコミットを探すのを助けるツールの存在をコメントで教わった。インターネットという空間にシャウトすると、何らかの集合知が得られるのだ。

そして、大学の時にやっていたアルバイトでは、自分の技術的な貢献を英語でレポートにまとめることが、コードを書く技術的な仕事と付随していた。これは研究開発業界では一般的だそうだが、これを早い段階で経験できたのは素晴らしい経験だった。ここでも、人類の発展は、レポートのような文章がインクリメンタルな形でも着実に積み重ねられることで進むことがわかった。

この特殊な研究開発のアルバイトでのトレーニングをつんだ後、大学の研究室で研究をする機会にも恵まれた。大学での研究も、企業での研究も、本質的なフォーマットと同じだと感じた。すなわち、既存の研究の現状を土台にした上で、試行錯誤で得られた結果と、その解釈、プロジェクトやコミュニティへの貢献や限界について書くことが重要だとされる。もちろん、このタイプの文章を書くことは難しい、しかし、個人的にはこの過程がとても楽しいと感じた。キーボードに考えていることをダンプして、それが時間をかけて明瞭になり、構造化されていく。

研究室で初めて行ったHCIの研究をCHIの学生向けのコンペティションに出した。すると、建設的なフィードバックがレビュワーから帰ってきて感動した。このフィードバックをもとに次のUbiCompという国際学会で再度出したところ、アクセプトされた。この時点でUbiCompで2件アクセプトされた。これは学部4年にしては多い件数なのではないだろうか。文章を書いて、かつそれを世にさらすと様々な形でフィードバックが来るというのは、技術ブログを書いていた時と論文を書くのとでは同じだと感じた。

上記のように英語で文章を書いて公開すると、世界中の人からフィードバックが来る可能性がある。例えば、UbiCompでアクセプトされた2つのうち1つは、英単語を個人にパーソナライズする観点で当時はまだメインストリームでなかったGPT3を埋め込んだものに関するプロトタイプだった。当時はChatGPTは存在しなかったが、GPTのような生成モデルはもっと身近になると感じていたので、検索SEO対策のようにGPTを含んだ論文タイトルにして、キーワードも工夫した。結果、現在8件ほどResearchGateのメトリクスで引用されている。それは、地球のどこかの研究者や学生のジャーナルや、arxivやカンファレンスに引用されていた。中身を読まずに引用されものもあれば、中身をちゃんと見ているものもあった。特にMIT Media Labの学生がCHI 2024という権威のあるカンファレンスの論文で、自分の論文を関連研究に入れてくれていたのは感動した。自分の論文の引用のされ方で、自分の論文がどのような立ち位置にあるのかも分かる。別の例では、生成AIと人間の交流を分類してくれていた。書いてフィードバックをもらうことは、究極の動的な学びになることを実感した。

さて、今までは技術ブログから、科学コミュニティで文章を書いてフィードバックをもらうことの面白さを述べた。もちろん、これは現在働いているような大きな会社でも同様である。特定のトピックに対して、ドキュメントが整理されていると、組織は円滑に進む。ドキュメントがあることで、特定の人間に知識が属人化して、単一障害点になることが防がれる。ドキュメントを書く・編集することは障壁が高いと感じられるが、実はそうでもないと感じた。ドキュメントが作成される過程を見ると、多くはある人のメモ書きであることも多い。それが他の人を助け、そのうち体裁が整えられたり、構造化され、次第に人のフィードバックに晒されて洗練される。こうして組織のドキュメントが整理されていく。この意味で、メモ書き程度でも未完成でも文章を書いてフィードバックをもらうことは重要だ。また、既存のドキュメントのうち、間違いやタイポ、そして古くなった情報を修正するのは誰にでもできる。(もちろん意外とみんなやらないんだが。)このようなオープンソースのように、インクリメンタルだとしても、着々と良い変化をもたらすことができるのが素晴らしいことだと思う。

また、文章は再利用ができる。今日本屋にいくと、紀元前に書かれた本がいまだに文庫として並んでいて、現代社会に適用可能な叡智が散りばめられている。自分の書く文章が数千年役に立つかはわからないが、それでも文章を書くのを楽しんでいきたい。そしてその過程で得る学びとフィードバックを。

この文章も地球のどこかで誰かが見てくれていたらいい。今は地元のイオンモールの夜、夏前のやや涼しい風に打たれながら、Mucho Alohaというビールを飲んでいる。


[1] GitHubの認証に関するメモ書き [2] 知り合いとマッチングアプリを作っていた時に、ブログ記事がプチバズって技術ブログプラットフォームのQiitaにて100を超える「いいね」や数万のビューをいただいた。