南インドCochin、友人の結婚式への旅—3日目 (15 Dec 2024)
快晴の朝、ホテルのベッドから目覚めた。今日はインドの友人おすすめのビーチに向かう。朝食に「フィッシュフィンガー」という魚の揚げ物を食べ出発だ。移動はいつも通り、Uber。4人で乗ると安い。
1時間半、都市から離れた田舎道を走った。グネグネの道や、ドライバーの頻繁な車線変更で車酔いが始まった。もともと、自分は車酔いしやすい体質だ。小学校のとき、サッカークラブの遠征バスで、ゲロがビニール袋をすり抜け、自分のバッグにゴールインした。その時、2チームの合同合宿だったため、相手チームの監督がバッグを洗ってくれた。その監督にはゲロボーイと(親しみを込めて)呼ばれた。昔話はさておき、今回も車で吐きそうになった。同行していた薬をたくさん持ってきた富山の薬売りのような方から、酔い止めぐすりをもらった。目を瞑りながら時が経つのを待ったが、我慢できず、ついに窓から吐いてしまった。その際の衝撃で、自分のつけていたサングラスも道路に放り出されてしまった。白い車のドアにも黄色の塗装がされてしまった。口から今朝食べた、ほのかなフィッシュフィンガーの香りがした。非常に申し訳なかったので、目的地に着いた時にチップを多めに払ったのと、日本から持ってきた浮世絵ポストカードを渡した。
ドアから降りると、灼熱の太陽と、南国の海辺が眩しい。そこにあったのは波の強いアラブ海。しばし風に打たれて満足した後、ビーチ周りを散策することにした。至る所に犬がいた。南インドは暑いため、犬も溶けている。そこらじゅうに昼寝をした犬がいる。
昼時なので、ランチをしようとしたが、ビーチ周りのレストランは現金しか受け付けないらしい。クレジットカードを受け付けてくれそうな店まで歩くことにした。それにしても暑い。体感で40度くらいはある気がする。歩いていると、現地の小学生のドリルが落ちていた。マラーヤム語のアルファベットを練習するためらしい。この辺は、日本の漢字ドリルみたいだ。
ビーチで昼ごはんを楽しんだあと、我々はバスコ・ダ・ガマが埋葬されている教会に行くことにした。彼は昔、インドへの航路を発見して、インドと西洋世界の交流を始めた冒険家であり、Cochinで最後を迎えたらしい。ウィキペディアによると、バスコ・ダ・ガマは最後にゴアで亡くなったという情報と、Cochinで亡くなったという情報が混在している。いずれにせよ、Cochinの教会で埋葬されたのは確かなようだ。彼は二回目の航海でCochinにたどり着いたらしい。Cochinはスパイスなどを含めた貿易で栄え、アラブやヨーロッパとの貿易で栄えた。バスコ・ダ・ガマが来なければ、少し違う未来になっていたのだろうか?
Cochinでは、街のいたるところに社会主義のシンボルをみることが多い。赤の背景に、鎌と槌。ケララでは、共産党政権が力をもち(ソース)、平等であることが重要視されているそうだ。海と水路と豊かな農作物に恵まれた大地、そこでは分け与える食べ物は十分にあるのかもしれない。
バスコ・ダ・ガマの祀られた教会を見た後は、チャイニーズフィッシングネットを見に行った。これは、ケララの伝統的な漁業方法でら桟橋から機械仕掛けで網を水路に落とし、魚を回収するやり方だ。この仕掛けは、海沿いの水路や汽水域ではたくさんある。その仕掛けの桟橋のもとに、魚屋があることも多い。とれたての魚がすぐそこでさばかれ、調理されるのだ。
チャイニーズフィッシングネットの動く様子がわかるYouTube動画
魚はよりどりみどりだ。南国の魚から、甲殻類など、小さいものから大きいものまで、たくさんある。魚屋のお兄さんたちは、「好きな魚があったら、調理してあとで戻ってきたときにはできるよ」と営業してくる。とても食べたかったが、そのときに現金を持ち合わせてなかった。Google Payは使えるともいわれた。ケララの都市部でも田舎でも、Google Payほどこでも使える。次回インドにいくときには、Google payを準備したい。
街をあるくと、太鼓をたたいてる人が声をかけてくる。どこから来たのか、と聞いてくる。我々が日本から来たことがわかると、市場の人々は「スズキ、ニッサン、ホンダ!」と知っている単語をひたすら出してくれる。インドでは、とりわけスズキの存在化は大きく、いたるところにスズキの車がある。Uberドライバーいわく、インドのマルチ社と、日本のスズキが合同で、マルチ・スズキというブランドを立ち上げ、インドではスズキはとても評判がいいらしい。(後日談:スズキのスズキさんがお亡くなりになられた際、インドのモディ首相が追悼のコメントをだされたほど、インドとスズキの関係は深いことが分かった。ソース記事)市場で太鼓をたたいてくる人の営業を断りつつ、海辺の街を歩く。色とりどりの洋服が売っていたり、食欲をそそる香辛料の料理が街に並ぶ。
時差ボケで、我々のうち、とくに三人は感情を失ったロボットのように歩いていた。ビーチから港町までのUberドライブで、昼寝をしてしまったのが良くなかったらしい。とりあえず元気を補充すべく、カフェに向かった。チャイと名前の知らないデザートを頼んだ。デザートは、ミルクが入っていた米のようなもので、おはぎのようなものだ。普通に美味しかった。ドイツにある、ミルヒライスのようなものだ。カフェでは、インド風のEDMが流れていて、我々のテンションをバク上げしてくれた。
1日の終わりにUberでホテルに向かいながら、明日の結婚式参列のため、インドの民族衣装を買うことにした。こういう時は、インターネットの表面の情報よりも、現地の人々の情報が有用である。Uberドライバーと世間話をした後に、「明日、友人の結婚式をするのだが、服はどこで買えばいい?」と聞いた。すると、ドーティ(白い布で下半身を覆うスカートのようなもの)とクルディ(上のシャツ)を買う必要があることがわかった。Uberドライバーはホテルの近くの伝統的な服屋につれて行ってくれた。「ナンディ」(マラーヤム語で「ありがとう」)とドライバーに伝え、降りようとした。その時、ドライバーは言った。「店では英語が通じないかもしれないし、服を選ぶのは難しいかもしれないから、手伝うよ。」とてもありがたい。
店では、その道のプロと思われる、白髪の女性が待ち構えていた。その女性は、マラーヤム語を我々にマシンガンのように喋りかけてくる。問題は、我々の脳に、マラーヤム語の言語モデルがデフォルトでインストールされていないことだ。とりあえず「スガマノ」(マラーヤム語で「調子はどうだい」)と声をかけつつ、Uberドライバーの助けを求めた。Uberドライバーとその道のプロの女性と一緒に二階建ての店を隅から隅まで眺めた。まず、下半身を覆うドーティを選ぶ。伝統的なものは布をまいただけであり、初心者には難しい。また、シングル・ドーティとダブル・ドーティというものがあり、着脱が簡単なダブル・ドーティを選んだと記憶している。その白いドーティに、金色の筋が入っていたので、別の階で金色のクルディを勧められ、気に入ったので購入した。クルディは着るのも脱ぐのも難しい。大人になったのに、Uberドライバーと、白髪の女性にに服を脱ぐのを手伝ってもらうのは新鮮な体験だった。
途中で、女性は「クルディを1つ買うと、もう1つクルディを無料であげるよ。」とUberドライバーの通訳を通して提案してきた。我々のうち、2人が服を買うので、なるほどお得である。女性とUberドライバーに「ナンディ」(マラーヤム語で「ありがとう」)と感謝を伝えた。これにて明日の結婚式への準備が完了した。